2011年3月11日、宮城県牡鹿半島沖を震源とするマグニチュード9.0の地震が発生しました。沿岸部には大きな津波が押し寄せ、たくさんの人々が犠牲になりました。遠く離れた和歌山県にも津波警報が発令され、避難する人も出ました。大きな真っ黒な津波が沿岸部に押し寄せ、家屋や船、車などあらゆるものを飲み込んでいく映像を見たときは、さすがに絶句しました。小さい子供から大人、老人までをも飲み込み、未だに多くの方が見つかっていない状況です。
 さらに原子力発電所にも大きな損害を与え、。原子炉を冷却することができなくなり、炉心溶融(メルトダウン)が発生しました。大量の放射性物質の漏洩を伴う重大な原子力事故に発展しました。このことにより、周辺に住む住民たちが県内や県外に引っ越すことを余儀なくされ、未だに自身の故郷に戻れない状況が続いています。
 この東日本大震災以降、津波のに飲み込まれ、全てをさらわれた地域では復興・復旧が行われ、集合住宅や防波堤などが建設されていますが、かつての町とは大きく変わっています。
 近年では、石川県能登半島でも大きな地震が発生し、家屋倒壊や火災、津波等により、たくさんの犠牲者が出ました。この地震では地盤が4mも隆起したため、漁港などが使えなくなってしまい、地元の漁業に大きな影響を与えました。また、被害が大きかった地域では、まず子供たちだけが金沢市内などに集団避難をするなどして、学習を再開しました。
 日本は地震大国である以上、これから先も地震や震災を避けて通ることができません。これらの大きな震災を私たちも教訓にし、近い未来起こるであろう南海トラフ地震に備える必要があります。日頃から「防災」「減災」に取り組み、自らの命を守るとともに、出来れば犠牲者を出さないようにしていきたいものです。